暑がりから見たエアコンの設定温度問題

こんにちは。

新型コロナウイルス感染拡大を受けた緊急事態宣言も解除され、都内にある私の会社も通常の出社が始まっています。在宅勤務のメリットも結構ありますが、やはり出社して同僚と近い場所で仕事をするほうが、集中力的にもコミュニケーション的にも仕事が捗る気がします。しかし、長い在宅勤務で忘れていた、他の人と同じ場所で仕事をするということのデメリットを思い出しました。

暑がりから見たエアコンの設定温度問題を読む

「~は使うな!」系の記事は嫌いです

こんにちは。

今日の記事はカテゴリをプログラミングにしようか考え事にしようか迷ったんですが、考え事にしました。技術系記事にたまにある「~は使うな!」系の記事、嫌いです。っていう話です。そういう記事は見ないほうがいいです。

自分が得意なWeb系で例を出すと、「floatは使うな!」「brタグは使うな!」「bタグは使うな!」のような記事です。こういった記事は主張がかなり一方的で、「こういったときに良くないから~は絶対使うな!」と書いてあることが多いです。「こういったときに良くない」まではいいんですが、「絶対使うな!」という決めつけが残念です。「こういう場合は使わないほうがいい」と説明するなら、本来どういうふうに使うものなのかという説明も同時に必要なはずです。絶対使うなとは言ってほしくないんです。非推奨となり互換性維持のために残されている仕様ならともかく、本当に使わないものならそもそも仕様には残らないはずですし、あるということはそれなりの使い方があるということだと思うんです。絶対に使ってはいけないものではないはずです。

「~は使うな!」系の記事は嫌いですを読む

神様はこの世界をGitで管理しているのかもしれない

神様はこの世界をGitで管理しているのかもしれない。先日、ふとそんなことを考えました。

私たち人間や、意思を持つ全ての動物たちは、日々何かしらの判断を繰り返しています。駅まで急いでいるから赤信号を無視してダッシュで渡ってもいいかな、いや流石に信号無視は良くないから待とう、こうやって何かを判断し、それに基づいた行動を取っています。では選択肢として選ばれなかったほうの自分はどうなっているでしょうか。

神様はこの世界をGitで管理しているのかもしれないを読む

好き嫌い、賛否両論に対する見方について

感じ方・考え方が全て同じ人間などいない。

好きだ嫌いだ、賛成だ反対だと言うことは簡単で、それが共通する者で群れることで派閥ができあがる。でも、他人の気持ちや考えを完全に知り理解することは不可能だ。もしその人が自分の考えを表明することに長けていて、それに共感することがあったとしても、それは結局その人が表現した部分における一致でしかない。それを「好き」「嫌い」みたいに二元的に考えてしまうのは危ないなあと思うのである。

好き嫌い、賛否両論に対する見方についてを読む