暑がりから見たエアコンの設定温度問題

こんにちは。

新型コロナウイルス感染拡大を受けた緊急事態宣言も解除され、都内にある私の会社も通常の出社が始まっています。在宅勤務のメリットも結構ありますが、やはり出社して同僚と近い場所で仕事をするほうが、集中力的にもコミュニケーション的にも仕事が捗る気がします。しかし、長い在宅勤務で忘れていた、他の人と同じ場所で仕事をするということのデメリットを思い出しました。

1ヶ月ほど在宅勤務をしてわかったことには書いていなかったのですが、在宅勤務のメリットとして自分しかいない部屋で業務ができるということがあります。これが何に繋がるかというと、エアコンの設定温度や風量なども自分の好きなように設定できるということです。暑いと思ったらすぐ冷房がつけられますし、部屋も広くないのですぐ一定の温度に保つことができます。それが会社では、何十人もの人が1つの同じフロアにいます。ブロックごとに空調の設定もできますが、空気が淀んでとても快適な環境とは言えません。 そして問題になるのが、空調の設定温度です。暑さ寒さの感じ方は人それぞれですが、空調の設定は誰かしらが気づいたときに変えており、特にルールなどはありません。そのため、暑いと思った誰かが温度を下げたり、寒いと思った誰かが温度を上げたり、風量を上げてみたり下げてみたり、人それぞれ自分の感じるままに空調の設定を変えています。もちろん全員が頻繁に設定を変えているわけではなく、一部の人間がこだわって変えているようなのですが。

暑がりの自分がこの空調問題について言いたいのは、夏も冬も暑がりに合わせた設定にしてほしいなあということです。これはとてもシンプルな意見で、暑がりの人はビジネスシーンにふさわしいギリギリの服装をしています。それ以上服を脱ぐことができないのです。それなのに、半袖の人が寒いからと言って設定温度を上げるのです。寒いのなら服を着ればいいじゃないですか。ひざ掛けをかければいいじゃないですか。夏が近づき朝からどんどん気温が上がって汗ばみながら会社に到着して、なぜ会社でも汗をかかなくてはならないのでしょうか。暑がりの人も寒がりの人も平等になるように平和に真ん中あたりで、という意見もあるかもしれません。しかし寒がりの人はそれなりの対策ができます。しかし暑がりは、靴を脱げば臭い、扇風機を回せばうるさいと言われてしまうのです。これでは不平等です。

とまあそれらしい主張を書いてみたのですが、別に寒がりの人は服を着たりするだけではどうにもならない事情がありそうなのもなんとなくわかっていますし、別に暑がりだからといって空調設定バトルに参加しているわけでもありません。こんなんじゃ集中できない、仕事の効率も落ちちゃって会社が損だよ、と心の中でブツブツ言いながら今日も明日も仕事をしています。

空調の設定温度問題は秋元康先生が1曲書けてしまうような問題です。乃木坂46の楽曲に「設定温度」というものがあります。

このエアコンの設定温度
君と僕はきっとすれ違っているんだ
少し下げれば 涼しくなると
わかってはいても
君が寒がってしまう

そんな気遣いは
無駄なことらしい
僕のTシャツは
汗でびしょ濡れだ
夏のせいじゃない

(中略)

この恋愛の設定温度
君と僕はもっと言い合った方がいい
人を愛せば やさしくなって
限界以上に
我慢してしまうだろう

そんな暑がりと
そんな寒がりが
一緒に住むから
愛と呼べるんだ

(乃木坂46「設定温度」より)

私は日々会社で恋愛をしているようです。

それではまた。

関連記事